702号室

ひとりでぺちゃくちゃ

『劇場』を映画館で観るということ

 

2020.7.17 『劇場』を映画館で観てきた。

情報解禁から1年。

やっとスクリーンの中で沙希ちゃんと出会えた。

 

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観終わった後、沙希ちゃんに抱く溢れ出る気持ちを忘れる前に何処かに遺したくて、カフェに駆け込み、yonigeの『沙希』を聴きながら手を動かしている。

 

 

 

今から書くことは、1度観ただけの超個人的見解の乱文で、ネタバレ含むので、ご理解の上読み進めてくれたら嬉しいです、何卒!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

優しくて、些細なことでもケタケタと笑う沙希ちゃん。どんな永田でも受け入れて生きていく強い沙希ちゃん。

それが本当の沙希ちゃんでもあるけれど、時折自衛のために優しくしていたり笑っていたり気にしていないフリして強さを演じる沙希ちゃんが居ることに気付いてからは沙希ちゃんの代わりに私がボロボロと泣いていた。

 

 

 

本当の沙希ちゃんは泣き虫で繊細でもっともっと脆いと思う。それを押し殺して嫌われないように、見捨てられないように、笑って大丈夫なフリをしていたのだと思う。

永田は笑っている沙希ちゃんを見ると安心すると言っていたけれど、全部が全部安心していい笑顔だったはずがない。

確かに心の底から楽しそうにケタケタと笑う沙希ちゃんを見るとこちらまで嬉しくなって、このままずっと沙希ちゃんが笑っていてくれ〜と思えた。けれど、よく見るとどこか目の奥が苦しそうな笑顔をしていたときがある。自分が苦しいのを、周りにも自分にも隠すために笑っていた時があった、気がした。

 

 

 

そんな沙希ちゃんの幸せを願って、みんな永田を否定する。だけども、それがもっと沙希ちゃんを苦しめていることに誰も気付かないし、当事者にならないと気付けない。永田を否定することは、永田を好きな沙希ちゃんを否定することにも繋がる。

永田が、「小峰を認めると、小峰を称賛する人を認めるのと同じになる」と言ったように。ここにおける、"小峰を称賛する人"は永田が今までどうでもいいと批判してきた所謂、一般論にあたるから少しニュアンスは違うかもしれないけれど、誰かを肯定したり否定することはその誰かの延長戦にいる人にまで影響を及ぼす。

 


沙希ちゃんは、"永田を認めている"という言葉が適切かどうかわからないけど、間違いなく永くんが必要で、依存していた。だから沙希ちゃんから永田を離すことは沙希ちゃんの幸せをもっと遠ざけることになる。むしろ、永田は自分が最優先で、依存というより沙希を利用していた部分が少なからずあった訳で、2人がバラバラになることで、1番辛くなるのは沙希ちゃんになる。優しさはいろいろな形があるけれど、時には無意識に凶器になってしまうのだから、難しい。

 

 

 

そして永田は沙希ちゃんを利用していると書いたが、永田が100%悪人とは思えない。(松岡茉優さんの演じる沙希ちゃんが好きすぎて、感情移入しまくった人の末路)

なぜなら、不器用すぎて伝わっていない事がほとんどだったけれど、永田の中に沙希ちゃんに向けた優しさと愛があったから。

そして少し、ほんの少しずつ、永田は成長していたから。

良くも悪くも、沙希ちゃんが言っていたように、"永くんは何も変わっていない"、根底は。

しかし、沙希ちゃんの好きなHIPHOPを聴くようになったり。惨めであることを基準に笑って誤魔化すことが出来ず沙希の母親に、そして沙希に対して、苛立っていた永田が、喫茶店で青山に "最悪な彼氏"と貶された時には笑って誤魔化していた。その後、沙希に怒りをぶつけてしまうから大きな成長はしていないのだけど、少しずつ沙希ちゃんから影響を受けて、学んで、成長してる永田を感じることが出来た。

 


自分が必要とするときだけズカズカと沙希の家に訪れ、沙希ちゃんが永田を必要としてる時はもう1つの居場所に籠ってと、最低で最低で最低だけど、完全に嫌いになる事は出来なかった。

 

 

 

沙希ちゃんへの愛がある余り、永田もまた見捨てられたくない自衛のために、沙希ちゃんを壊してしまっていたのである。決してこんな愛の形があってはならないけれど、永田にとっても沙希ちゃんにとってもお互いはとても大切な人で幸せを作ってくれる人だった。

 


本能的な愛を、バラバラのピースにして、2人で持ち合わせていたのだと思う。沙希ちゃんが用意してくれたピースに永田は上手く嵌めることが出来無くて、沙希ちゃんを苦しませていたけれど、自転車の2人乗りのシーンで、1つずつピースが嵌っていく感覚になって、私は沙希ちゃんと一緒に泣いた。

いつもは沙希ちゃんが沢山話して、愛想のない返事をしながら聞き役に徹底する永田。それが、このシーンだけいつもと逆で、永田がとにかくずっと1人で話してて、沙希ちゃんは何も返事をしない。だけど、1つ1つの言葉を深く受け止めていることは伝わってきて、更に泣いた。

 

 

 

 

 

 

そして、永田と沙希ちゃんの2人が育んできた見えない愛が少し垣間見えた描写があった。

心身共に優れない上に、夜寝れず、お酒に頼りついつい飲みすぎていた沙希。そんな沙希を想って、永田は押し入れに焼酎を隠す。

 


_また、別のシーン

 


引越しの荷造りのとき永田は、沙希ちゃんの台本を押し入れで見つける。2人で一緒に出演した「その日」の台本で、沙希ちゃんの宝物である。

 


お互い、なにかを大切に想うとき押し入れに仕舞い込む。

だから沙希ちゃんは、「隠すところすぐわかるよ」と言って焼酎を即座に見つけ出したのかと思うと、心がキュッと暖かくなった。

 

 

 

 


「その日」の台本を見つけた2人は、音読を始め、そこからラストシーンに繋がっていく。

沙希ちゃんは、演じる永田を見ながらポロポロと涙を流し、「ごめんね」と小さく呟く。私も沙希ちゃんと同じ小劇場の客席にいる錯覚を起こして、また一緒に涙を流した。

この「ごめんね」の解釈は色々とあると思うし、色々な意見を聞いてからもっと深く咀嚼したいので、今は言語化するのを控えておきます‥‥。

 

 

 

 

 

 

ただ、沙希ちゃんには屈託なく笑っていてほしいし、今までの人生もこれからの人生も沙希ちゃんが幸せだと思えるものであることを願って_____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この作品、当初は松竹が配給会社で4月17日公開予定だった。しかし、新型コロナウイルスの影響で、公開予定の6日前に延期が発表され、松竹が配給を降りたことにより、公開規模が大幅に縮小されAmazon prime Videoでの配信と共に、7月17日に封を切ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行定監督のこのツイートを拝見してから、作品を観る前から悔しい気持ちになっていた。そして映画館で見終わった今、更に悔しい気持ちでいっぱいになっている。

1番悔しい想いをしているのは、行定監督自身だろうに、そんな監督にごめんなさいと言わせてしまっているこのご時世がただ憎い。

 

 

 

Amazon prime会員なら、無料で観られるため映画館でわざわざお金を払うのが億劫に感じるかもしれない。それに、無料だから観るという人や映画館に行きたくても遠出をしないといけない人も居るだろうから、配信という試みはより多くの人に届けるためには最適な手段だと思う。

でも…でも…沙希ちゃんに寄り添ってラストシーンで一緒に涙を流すには、映画館で、劇場で、『劇場』を体感するのが1番だと胸を張って言える。

 

 

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どうか、然るべき人に然るべき形でこの作品が届きますように_____